遅くなりましたが

遅くなりましたが、なぜ今さら外資系金融とか受ける気になっているのかということについて少し説明させていただきます。


そうです。3ヶ月間もカンボジアで教育プロジェクトに従事しておいて、今になって180度違う分野にチャレンジするのは正気の沙汰ではありません。「全てはキッズのために」が「全てはお金のために」になってしまうんですから。気持ちは切り替えれば何とかなりますが、これまで積み上げてきた数少ないキャリアは切り替えがきかないので、僕にとって完全に不利な立場での就職活動になることがかなり予想されます。特に金融関係の面接官なんかには「こいつ土壇場で世界平和!とか言い出さねえよな」とも思われかねません。でもここではっきりしておきたいのは、今回の非開発/ビジネス系就職活動は、僕が完全に国際開発の世界から身を引いたということを必ずしも意味しない、ということです。キャリアをスタートする場所としてビジネスの世界を選んだのです。


その理由ひとつは、端的に、ビジネス界特有の効率性と金銭感覚を学べるのは今しかないと思ったからです。「今しかない」というのは若いうち云々ではなく、開発業界とビジネス界の人材の流れがほぼ『ビジネス→開発』の一方通行に限られているという事実に起因します。つまり、開発業界はビジネスセンスを歓迎するけれども、企業側は悪く言えば平和ボケした開発人間を欲しないということです。したがって両方の世界を味わおうと思えば、望むと望まざるに関らず、ビジネス界からスタートするしかないというのが現状です。


カンボジアでは色んなものを見て、聞いて、感じて、さらに、通常のインターンでは期待できないような業務にも携わらせてもらい、非常に有意義な体験をすることができました。しかし、組織や人、業界全体に関しては、ここに書いたようなことや書きたくても書けなかったようなことも含め、大きく落胆した部分が正直多かったです(彼らの方針にどうしても納得いかなくてプロジェクトオフィサーと半ば喧嘩になったり。)。もちろん、現地で目に付いた全ての問題が効率性やビジネス的金銭感覚を得たくらいで解決するものとは思っていません。効率を追求することで捨象されてしまうものはたくさんあるし、ビジネスの世界で学んだものがそのまま生かせるはずもないでしょう。ただ、その世界を知らずに国際開発の世界にどっぷり浸かることに罪悪感にも似た思いを覚えるのです。


ひょっとしたら、スローペースの仕事に肌が合わなかったという性格的な不一致が原因なのかも知れません。でも働きはじめの仕事ができないうちは、仕事への不満を感じても自分ひとりではどうすることも出来ないないでしょう。違和感を覚えるその対象に染められていくしかないのです。いずれにせよ、あの僕が3ヶ月間働いた現場は、初心者としてキャリアをスタートすべき場所ではなく、自分一人で何でもできるようになってから働くべき場所だと思いました。


理由の二つ目は、話を振り出しに戻すようですが、僕がまだ国際開発の世界で本当にやっていきたいのかどうか自信が持てないということです。僕は、国際開発は自分の信念をしっかり持って仕事をすることが非常に難しい世界だと思っています。これは、ビジネスやその他、芸術の世界なんかと比べて、ということです。ひょっとすると多くの人たちは、国際開発だとか援助なんていう仕事は世界平和・貧困削減に奉仕する仕事なわけだし一番信念を持ってやりやすいじゃないか、と思うかもしれません。でも、だからこそ、自らの世界観を持ってやりぬくことが難しい世界だと思うのです。


突然ですが、僕は「使命感」という言葉が嫌いです。ていうかまあ、言葉自体はどうでもいいけど、それを持って仕事をしたりすることを嫌います。というのは使命感は、自ら見出したり、創り出したりした価値観ではなく、文字通り「使わされた命」だからです。そういう意味で、国際開発という分野は使命感を持って仕事をしやすい分野といえるでしょう。困っている人たちを助けることはいいに決まっているし、そうした価値観が社会的に常識として共有されているからです。でも、その社会的通念の存在が大きすぎるのです。つまり、仮にその世界に自らの価値観を見出して何かに取り組んだとしても、ふとした瞬間にそれが自分から湧いてきたものなのか、それとも、社会的に支持されてるから、みんながいいって言うからそう思ったのか、わからなくなるのです。


人は使命感を持つとある部分で成長を止めてしまいます。使命感とは他人の世界観であり、それを持って何かをするということは、他人が引いたレールに乗っかって先へ進むということです。ましてやそれを社会という他人が引いたとなると、人はそれに疑いをかけることをやめ、それを信じ、時に狂信的にそれを追い求めたりします。いきなり大げさかもしれませんが、ファシズムもこの延長線上にあると思います。


国際開発という世界では、この社会が引いたレールと自分で引いたレールの見極めが難しく、自分がどっちに乗っているのか非常にわかりづらい部分があります。やっていることが良ければどっちのレールに乗っかっててもいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。しかし僕は、その差は、小さいかもしれないけれど、絶対的な違いを生むと信じています。自分で引くレールは不安定でゴールに向かっているかどうかすらわからないかも知れないけど、時に軌道修正をしたり、降りてみて点検したり、全て自分の責任で出来ます。今から国際開発の世界に飛び込んで、その中で揉まれつつ、自らの世界観を見出したり、創り出したりする選択肢もありますが、僕はそこから少し離れた、全く別の世界でそれに思いをめぐらせてみたいと思っています。