フィールド・トリップの報告 その3

etorofu2005-07-05

フィールド・トリップの感想・考察をどう着地させるか考えあぐねております。


感想・考察
めんどくさいのでラフに行きます。

サマキ2によって村民たちは女子教育への理解を示しだし、Non-formalの学校を自分たちで運営していく気持ちも高まってきている。そこまではいいんだけど問題はCAREが離れた後もこのサイクルを続けていくことができるかどうか(今後数年はバックアップが必要であるが)であって、それにはやはり行政の協力、特にその最小単位であるところのコミューンとの連携、またその制度枠組みの整備によるサポート体制の構築が必要なわけです。つまり、Decentralization & Administration Reform(地方分権行政改革)。

Decentralization & Administration Reform(地方分権行政改革)は、開発業界、特に教育の分野でBuzz Wordになっている*1。でも同時に叫ばれてるのが政府のCapacity Building(職務遂行能力の向上)。で実はこの2つが重なると厄介なんです。ていうか発展途上国じゃあたいがいこの2つは重なるんだけど。Decentralization!って言われたところでできないのね、要は。法律に明記したところでそれを遂行するキャパシティーがないからしょうがないの。

当然、「じゃあ、キャパビル(Capacity Building)がんばろうよ」ってなる。でも政府の給料めちゃ安いから仕事できる優秀な人は、企業に集中しちゃうわけです。給料上げるのも難しいし。たとえ「この国を良くするぞ!」なんて燃えてても国連とかNGOに勤めるのが大半。例えば僕の友人THYくんは大卒でITのエキスパートで公衆衛生系のNGOに勤務して月給$300近くもらっていますが、もし25歳の彼が政府で働いたら月$30がいいとこ。政府内の汚職とかコネ人事とかすごいから昇進をあてにいい仕事するインセンティブもないし。

加えてカンボジアの場合、クメール・ルージュが効いてます。官民、中央・地方問わず、優秀な人はほとんど虐殺されてしまってるので、そもそも国全体としてキャパシティーが低くなってしまってるんです。政府高官、インテリ、才能ある芸術家、歌手、有能な教育家、地方の有力者、財界の大物、優秀な学生、みーんな、ジェノサイド。


でも、そっからスタートするしかないんですよ。




つづく

*1:しかしながら、現在、カンボジア教育省が準備している新しい教育法のドラフトにはコミューン委員会における教育部門の役割はおろかその設置すらも明記されていない。